病院で死ぬということ

病院で死ぬということ (文春文庫)

病院で死ぬということ (文春文庫)

映画「ディア・ドクター」を見に行く前後に読んでいたのが
病院で死ぬということ」という本。

タイトルだけは何度も耳や目にしたことがあるのですが、全然内容については知らず、「自宅出産」が注目を集めていたりするのとおなじように
「スパゲティのようにチューブをつながれ最後を迎えるのが不幸である」とか「病院ではなく住み慣れた我が家で最期を迎えるべきだ」 と訴える本かと漠然とおもっていました。


著者の山崎さんは、以前読んだ柳田邦男さんの「いのち〜8人医師との対話」のなかに出てくる8人の医師のなかのおひとり。
山崎さんは南極の地質調査船の船医として半年間の航海に出た際に一冊の本に出会い、それまで実施してきた医療行為(蘇生術)の常識が覆されるほどの衝撃を受けたというのです。


山崎さんが関わって亡くなっていった患者さんのガン発症時、治療過程、最期がどんなふうであったかを紹介しつつ、山崎さん自身が患者さんとの出会いでどう考え、行動したか、またその(苦い)経験を生かし、南極航海の後、患者さんやその家族との関係をどう築いていったかという生々しいものでした。
じっさい自宅に帰って最期を迎えたひと、というのは少数派でした。。

本の中で述べられた山崎さんの考えは・・
臨死患者に対する人工呼吸や心臓マッサージなどの蘇生術は医療者の当然の義務とおもっていたが。。

(p41)確かに、元気であるべきだった人の急変時、たとえば心筋梗塞の発作などの良性の疾患で、突如、死に瀕した人の場合には救急蘇生法を適正に行うことで命を救うことが可能であるから、緊急時のスムーズな蘇生術の施行や各種薬剤の使用法に習熟していることは医師としては当然必要なことである。。しかし。。

末期ガン患者の臨死状態に対する蘇生術はいかなる意味をもつのか。。
この蘇生術で数時間とか一日命が長らえたとして何が一体どう変わるのか。。。

(p123)もちろん、いくら末期ガン患者といえども、病状が安定して臨終までまだ日数があると思われている患者の急変時とか、家族がその場に居合わせない場合や、家族の心構えが十分できていないときには延命することはあるそうです。

医師の中では賛否両論あるのかもしれませんが、夢中で読んでしまいました。

***

柳田さんの8人の医師との対談のなかでも述べられているのですが、
十分闘病した患者さんがいよいよという最期の時に、患者の家族が廊下に出されて病室で医師が汗をかきながら心臓マッサージをして蘇生術を施したけれど効果なくそのまま亡くなってしまい、患者の家族がよばれ
「手を尽くしましたが、お亡くなりになりました」
というのはどうなのかということ。
それなら、患者の周りに家族が集まって「よくがんばったね」とねぎらって別れの時をすごすというほうがよいのでは、、と。


山崎さんが衝撃を受けたのはエリザベス・キューブラー・ロスという人の「死ぬ瞬間」という本。
この本についてはタイトルを紹介するだけにとどめます(未読)。。 ↓